青いビンの底

私の、誠実さ(に近いもの)になりうる手段

白衣、或いは青いマントの女性

パンダが日がな一日ゴロゴロしているのは笹の毒を分解するためだと聞いたことがある。

人間が解毒する時も活動量が落ちるに違いない。昼に一度起きたがまた宵の口まで寝ていた。そもそも寝る時間が遅いのは問題なのだけど、それにしても寝過ぎじゃないかと思う。

思えば、少なくとも昨日今日に関して言えば、シラフで起きている時間というのが無い。

書くために改めて考えると、重篤な依存の状態に思えてならない。少しは焦燥感も出るというものだが、それが役に立った記憶はあまり無い。

薬のことばかり書いているが、その依存からの脱却に一役買ってくれないかと思って書き始めたので当たり前ではある。一応1日一回書くことを当面の目標としている。アウトプットすることは大事らしいが、紙に文字を書くというのはハードルが高い。あまりに儀式的でやっていてバカバカしくなるに違いない。

それにしてもずっと自分の問題と向き合うというのも疲弊するものだ。僕は甘えた人間なので辛いことから逃れる癖がついている。

しかし、他に書くことがあるかというと、やっぱり特に無いと思う。

 

 

不安なことを一つ挙げよう。明日職場に新しい人が来るらしいが、女性で歳は僕の二つか三つ上らしい。

 

今から残念に思うのは、その人の僕に対する第一印象はジャンキーの状態であることだ。

必要以上によそよそしくて、挙動不審、いつも何かに怯えている。そこまで明確に判断される事はないと思うが、あれ、なんか変わった人だな、と思われる可能性は極めて高い。

フリーランスの人が手伝いに来るだけなので、もう来たくないと思えば簡単に来なくなる。

よほど給料がいいなら別だが、僕のところはそうでもない、というかむしろ安いので、キモいと思われれば来なくなっちゃってもしょうがないのである。

よそよそしくて、挙動不審、いつも何かに怯えている。こんな様子はジャンキーだから生まれるというとそうではなくて、元来僕が臆病なので、その臆病さが過度に増幅されているに過ぎない。

基本的にはそれは隠すスタンスをとっているし、社会もそれを要請している。

そうなるとどうなるか。弱さを気取られないように非友好的になるのだ。

基本的に愛想を振りまくが、根っこのところでは、あなたとは交わりませんよ、という姿勢をとることになる。

人の観察眼というのは残酷なほど高性能で、たいていはその根っこのところまであっさり看破されることになる。

そして生じる問題が、ある種の女性にとっては魅力的な幻想を生じさせるということだ。

保護欲というか、あるいはそれを暴けないことの苦悩というか、とにかくなんらかの魅力が生じるらしい。

恐らく、己の価値の確認(あるいは誤認)に最適だからだ。性を通した極めて人間的な欲求なので、当人の嗜好や意志とは無関係にその蠱惑的な幻想に吸い寄せられていく。

僕が今よりもっとクズだったときには、その対象になることでまた、人間的価値を信じようとしていた。恥ずかしい限りである。

その正体はとるに足らない臆病さである。堅牢さを装ったその防壁が陥落する可能性を示唆し、僕は女性たちを傷つけた。

彼女たちは否応なく引き寄せられたに過ぎない。問題を解消する責任は、選択肢を多く持つ方にある。

そして僕はその責務を放棄した。

 

明日から来る人とはもちろんそんなことがないように最新の注意を払わなければならない。

齢29にしてようやくひとつの責任について分かりかけている。

 

明日が涼しければいいな。